「禅って、難しそう」
「仏教って、お坊さんが学ぶものでしょ?」
そんな声をよくいただきます。たしかに、お経の言葉や専門用語に触れると、難しい漢字や抽象的な表現に戸惑うかもしれません。
私自身も、教えていただいているのは仏教のほんの入り口。難しいことは、まだまだわかりません。
でも、禅の教えに触れるたびに思うのです。
これは“心が疲れたときこそ、支えになる知恵”だなと。
たとえばこんなとき――
「もっとちゃんとできたはず」
「自分がダメだからうまくいかない」
「もっと頑張らなきゃ」
そんなふうに、自分を責めるループにはまってしまう。
とくに、責任感の強い人や、気配り上手な人ほど、その傾向があるように感じます。
私自身もHSP気質で、つい人には優しく、自分には厳しくなりがち。考えすぎて、気づけば心がくたびれていることもあります。
そんな私に、「ああ、そうか」と心がほどけるような感覚をくれたのが、師匠の藤井先生に教えて頂いた、仏教の戒(かい)”でした。
三、五、十など色々な数の戒があるそうです。
戒と聞くと、守るべき規則、破ってはいけないルール、やってはいけないリストのようで、アレルギーを起こしそうですが、実は全然違うと教えていただきました。
むしろ、心を整えて、日々を軽やかに生きるための、やさしい“習慣のガイド”なのです。
三聚浄戒とは?|仏教の「やさしい習慣」
中でもシンプルなのが、この3つ。
- 悪いことをしない(摂律儀戒)
法律を破らない、という話ではありません。
たとえば――
嫉妬から誰かを悪く言ってしまう
無理して自分を押し殺してしまう
誰かをコントロールしようとしてしまう
こうした“ざわっ”とした瞬間に気づくことが、この戒の本質です。
「いま、心が乱れてるな」と気づくだけで、呼吸がゆっくり戻ってきます。
2.よいことをする(摂善法戒)
「よいこと」と聞くと、何か立派なことを想像しがちですが――
席をゆずる
ゴミを拾う
「ありがとう」を伝える
そんな日常の小さな行動でも、十分すぎるほど。
人にやさしくすることは、まわりまわって、自分の心を整える力になります。
3.人のためになることをする(摂衆生戒)
「人のために生きなきゃ」と気負う必要はありません。
たとえば、
丁寧にごはんを作る
同僚の仕事を少し手伝う
誰かの話に静かに耳を傾ける
そんな何気ない行動の中に、ちゃんと“誰かのため”が宿っているのだと思います。
仏教の戒は、校則のように何かを“やってはいけない”というルールではなく、「整えること」「気づくこと」を大切にしているのではないかと思います。
三聚浄戒は、「こうしなきゃいけない」ではなく、
できるときに、できるだけ、そっと心を整える――そのためのやさしい道しるべ。
忙しい日々の中で、ちょっと思い出してほしい、仏教のやさしい習慣です。
まずは今日、自分の心に「大丈夫」と声をかけてみてください。
それだけでも、仏教の戒は、きっとそばにいてくれます。
※この記事は、noteにて先行公開した内容を加筆・再構成したものです。
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