師匠である、曹洞宗のご僧侶藤井先生との出会い

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「誰かに話したい」と思ったとき、あなたのそばには誰がいますか?

私達は、特に苦しいとき、辛いときに、誰かに相談したくなります。そんなときに、誰に相談しますか?

私はふだん、人の悩みに耳を傾ける立場にいます。
今まで、沢山の方の、苦しいこと、辛いこと様々なお話を聞き、コンサルティングやコーチングを行ってきました。

けれど、自分の無力さを感じる瞬間が時折あります。私自身もどうすればいいのかの問いを抱えながら、仏教や禅に興味をもちました。

本を読んだり、ネット記事や動画を見たり。今はとてもわかりやすく、親しみやすい言葉で伝えてくれる方が多いので、知るほどに興味が深まる一方で、見る、聞くだけの一方通行ではどこか物足りなさも感じていました。

人との関わりの中で、もっと深く学びたい。
そう思っていたときに出会ったのが、藤井隆英先生のオンライン講座
「禅セラピーインストラクター講座」でした。

今、必要と思ったときが「その時」

実は、私が講座の存在を知ったときには、すでに申込み期間は終了していました。本来は、まず「禅セラピスト講座」を受講したあと、インストラクター講座へ進む流れ。

でも私がその存在を知った時には、セラピスト講座はすでに終了、インストラクター講座も申し込みの締切を過ぎていました。しかもこの講座は年に1度。次に受けられるのは、1年後です。

それでも、どうしても気になって問い合わせた私に、先生はこう返信してくださいました。
「今ご連絡くださったということは、今必要と思い立った時だと思いますので、ぜひご参加ください。」

その一言に、

「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。

縁は求めざるには生ぜず。
内に求める心なくんば、たとえその人の面前にありとも、
ついに縁は生ずるに到らずと知るべし。」

この森信三先生の言葉を思い出し、オーバーかもしれませんが、
このご縁は、出会うべき方に出会ったのかもしれない

「そうだ、今の私に、必要なんだ」
と思い、先生の温かい言葉に受講を決意しました。

はじめての仏教の学びと、オンラインでの坐禅体験

講座は、インストラクター講座の開始までに少し時間があったので、まずは、アーカイブでセラピスト講座を学びながら、途中からは同時進行でインストラクター講座へ参加する形になりました。

仏教について本格的に学ぶのは初めてで、四法印、四無量心、四弘誓願、四諦、八正道と様々な言葉がでてきて、お釈迦様の言葉やその教えの概念は、正直すぐに理解できるようなものではありませんでした。

けれど、仏教の根本的な教えから、曹洞宗という禅宗の教えなど、日々の生き方にまで浸透していくような学びが続いていきます。また、禅ベースのセラピーワークや、先生のナビゲートによる坐禅の時間もあります。

オンラインなので「一緒に坐禅」と聞くと少し不思議に思われるかもしれませんが、他の受講者の方と一緒の時間を共有するだけで、自然と心が整っていくのです。

オンラインでも、一方通行じゃない講座

オンライン講座ですが、聞く、見るだけの一方通行にはなりません。
毎回、課題が出され、提出する課題も、知識の確認ではなく、自分に問いかける内容が中心です。

一見シンプルな問いでも、内面に深く掘り下げていこうとすると、驚くほど難しく感じることもあります。

この講座は、ただ聞いて学ぶだけではなく、毎回出される課題や、その回答の共有、講座後の「感想・質問タイム」があり、他の方の感想や質問、先生からのお答えなどを通して、そこには確かな“対話”が存在していると思います。

あえて「手書き」で届けられる、先生のスタイル

*先生の一般の方向けにお話された動画です。
印象的なのは、藤井先生流の講義スタイルです。上の動画でも出てきますので、ぜひご覧下さい。

先生の講義では、整ったスライド資料は一切使われません。
毎回、先生が手書きした紙をカメラに映しながら、紙芝居的に手書きスライドを元に講義が進み、先生がひょっこりはんのように映るのがユーモラスでもあります。

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講座にて

正直、スライドの方が効率的なのでは?と思う時もありました。
でも、先生は毎回、手間と時間をかけて手書きの資料を準備されます。けっこうな文字数ですし、間違えたら、そのまま黒で塗りつぶされていたりの臨場感もあります。

その先生の姿勢からは、情報を“効率よく伝える”よりも、“丁寧に届ける”ことを大切にされているのが伝わってきます。「効率」ではなく、「想い」を込めて届けてくださっている、誠実なお人柄が、画面越しにも伝わってくるのです。

「揺らぎ」も共有してくれる先生の在り方

先生はとても率直に、ご自身のことも語ってくださいます。

「自分自身も、無力さを感じるときがある。つらい時がある。」

僧侶という立場であっても、人として揺らぐことがある。
でも、だからといって諦めるわけではない。

「すべては思い通りにはいかないのだと知ること。
それでも問い続けていくことが大切なのです」

そう教えてくれました。

理屈を超えて、感じることの大切さ

先生の講義は、時に哲学的です。
難しく感じることもありますし、理屈で理解しようとすると、かえって混乱することもあります。

けれど、そんなときこそ、理解しようとする思考を手放して、ただ感じてみる。
繰り返し、視聴していると、
すっと自分の中に入ってくる瞬間があるのです。

学びとは「香り」のように、そっと染みていくもの

先生の言葉で特に印象深かったのは、

「仏教の学びとは、資格取得のように、階段を上がっていくものではありません。
受験のように、ゴールを目指すものでもないのです。」

という言葉です。

知識を積み重ねるのではなく、実践とともに時間をかけて、じんわりと心に染みていく学び。

仏教のことばで「薫習(くんじゅう)」といいますが、まさに香りが染み込むように、自分自身に染み渡り、心の習慣になっていくこと。

まだまだ、そこまではいけていませんが、そうなればいいなと、毎日精進です。

あなたの心にも、問いがあるなら

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現代の私たちにとって、身近に気軽にお話できるお坊さんがいなくて、お寺が遠い存在になっている気がします。

そして、興味があっても、仏教というものを学ぶ場は、限られているのではないかと思います。

藤井先生は、阪神大震災では長年ボランティアをされていたり、今でもテレビには映らない追悼式に、関東から毎年行かれています。そんな、真面目で誠実な先生に出会えてよかったです。
誰に学ぶか、これは大切な事だと思っています。

私自身も、これからも問いを持ちつづけ、先生に教えを請いながら、薫習のように、学びを重ねて、少しでも人のお役に立てるような人となりたいと思っています。

マインドフルネス | Zafu、身心堂zafu とは、禅やマインドフルネスに学んだメソッドやプロダクトにより、ひとりひとりの幸せ・健康で有意義な人生・良好なコミbosan32000.wixsite.com

禅セラピストやセラピーインストラクターなどの講座にご興味がある方は、ぜひ先生の、ホームページをご覧下さい。

※この記事は、noteにて先行公開した内容を加筆・再構成したものです。
オリジナル記事はこちら → noteで読む